ことばのまえ Sou NAKAYAMA

Sou NAKAYAMA

  • 短冊

    2016.11.19

    20161119

    今住んでいる部屋の窓からは
    たくさんの植物が見える

    ドクダミや山ごぼうに混じり
    ミゾソバの花が咲いている

    なぜ水辺に生息する植物が
    こんなところで花を咲かせているのか
    気になって古い地形図を調べてみると
    家の前の敷地は以前大きな池であったことを知った

    ベランダはちょうど池のへりで
    何気なく眺めていた林の中に
    大きな水辺を意識するようになった

    その日からベランダに出ると
    その水辺を見つめるようになった

    遠くからカヤクグリの鳴き声がして
    その音を追いかけるように
    鬱蒼とした山道を歩いていた

    僕には目的地はなく
    その音を頼りに歩むことで
    何よりも数日続いている背中に滲む
    鋭い痛みを紛らわすことができた

    時計を持たない身にとって
    陽の光が遮られた世界は
    夜なのか朝なのか
    昼なのかよくわからなかったけれど

    カヤクグリと一緒に或る方へ
    向かう行為がとても心地よかった

    カヤクグリの意思と同化して
    空を飛んでいるようで嬉しかった

    しばらく音を頼りに歩いていると
    視界が開け始め針葉樹が生い茂る林を通り過ぎると
    目の前に薄っすらと霧がかった湖畔が見えた

    その湖はどこかで見たことがあるようで
    馴染み深く懐かしかった

    背中の痛みを右手でさすりながら
    水辺の空を見渡すとカヤクグリは
    2羽になって湖の彼方へ飛んで行った

    ミゾソバの花が生い茂る
    湖畔を歩いていると遠くの方で
    火がゆらゆらと揺れていた

    その炎に近づくにつれ木片がぱちぱちと燃える
    乾いた音が聴こえ焚き火の側で
    白い布のようなものを干している老婆の姿があった

    砂地に2本の竹を刺し器用に麻紐で両端を結び
    たくさんの白い短冊が干されていた

    竹竿の側に座り作業をする姿を眺めていると
    老婆は白い紙を持って湖に浸し静かにくるくると
    回し水で濡れた短冊を一枚一枚
    麻紐に結びつけた

    やがて炎で乾いていく白い紙から薄っすらと
    黒い文字が浮かび上がってきた

    短冊には短い言葉や長い言葉
    英語やスペイン語アラビア語日本語で
    記載された様々な言葉が浮かび上がっていた

    老婆は何も話さなかったけれど
    言葉にしたかったけれど
    掬いとることのできなかった世界中の言葉が
    浮かび上がっているように思えた

    僕も一枚短冊をいただき
    湖に浸しゆっくりとくるくると回して
    麻紐に結びつけた


    短冊が乾いていくと
    朧げだけれどある言葉が
    ぼんやりと浮かび上がってきて

    とにかく早く家に帰って
    その言葉を伝えなくてはと思った

    背中の痛みで目が覚めると
    窓の外でミゾソバの花が蕾を閉じ
    冬支度を始めていた

     

  • 2016.10.07

    20161007

    明け方の空気には色がついている

    ベランダに干してある洗濯物も
    私の身体も透明な水色へ染まっていく

    太陽が現れるまでのこの時間に
    一日分の大気を吸い一日分の大気を吐く

    それから神宮の林に出た

    ゆったりとビニール傘を右に左に
    揺さぶる人たちに出会った

    雨は降っていなかったけれど
    開かれた色とりどりのビニール傘には
    黒いマジックで数字や
    「チケットください」等と書かれていた

    四谷方面へ向かう交差点で
    信号を待っていると色とりどりの
    ビニール傘が海月のように
    泳ぎ出して空へ向かっていった

    空にはさっきまで在ったひとつひとつの
    白い雲が交差点の頭上で
    おおきな塊となり乾いたアスファルトに
    ぽつりぽつりと大きな染みをつくっていった

    ビニール傘を持った人たちが
    雨乞いの儀式をしていたのか

    白い雲が雨を降らせたのか
    どちらが先なのかよくわからなかった

    林の中で耳を澄ますと
    樫の木の呼吸が聞こえる

    針葉樹はどうしてあんなにもまっすぐ
    上を向いて生を為せるのだろう

    多分生きること以外の意志は
    彼らにはないのかもしれない

    未来も過去も
    彼らにはないのかもしれない

    だから私は彼らを
    見上げるのかもしれない

    林を抜けると
    東の方から赤い光が空に滲んで
    私の猫背な背中はまっすぐになっていた

    おはようございます
    雨が上がりましたね

    いつも同じ時間に散歩している
    顔見知りの老人が
    すれ違うときに声をかけてきた

    おはようございます
    雨上がりましたね

  • 東西線

    2016.09.12

    20160912

    労働により疲れ果て
    地下鉄のふわふわとしたソファに
    身体を全て預けていると茅場町辺りから
    黒いレオタードを着た人たちが
    おおぜい乗り込んできた

    状況が呑め込めないまま日本橋を通過し
    大手町に到着する頃には僕以外の8割くらいの人たちは
    すべてレオダード姿だった

    竹橋へ到着するころに
    少し冷静になり始めた僕は
    ひとつの現象を発見した

    レオタード姿のOLや青年やおっさんやら
    淑女やら老人はそれぞれ腰に色とりどりの太い
    帯をぶら下げていて
    地下鉄の路線図等が映る電光掲示板には
    色の説明が書いてあった

    僕の目の前でつり革につかまっている
    おっさんは黄色い帯だったのだが
    掲示板によると
    「黄色 ひょうきんもの 実は繊細」
    などと電光掲示板には書かれてあった

    たとえ姿はレオダードでも皆
    鞄やリュックなどを背負っていて
    スマホをいじったり眠っていたり
    本を読んだりだった

    いつもの通勤風景と変わらない温度感に
    僕は戸惑わされつつもOLさんたちは
    ピンクや紫色が多いんだなとか思ったりしていた

    九段下を通り過ぎるころ
    自分だけがレオタードではないことに
    違和感を覚え始め
    急に居心地が悪くなってしまった

    それは自分も調和するために
    同じ姿にならなくてはいけないのかという
    後天的に植え付けられた反射的な脳の働きにより
    すべての考えがそこに焦点してしまったからだ

    googleで レオタード 最安値 東京
    帯び 紺 意味 等と
    検索していると飯田橋を通り過ぎた

    いよいよ車内は僕以外すべての人たちが
    色とりどりの帯を纏うレオタード姿になった

    「白 清潔 資生堂 百合 神社 仏閣など」

    神楽坂に到着すると
    白い着物姿のおっさんたちが入って来て
    厳かな神楽が始まった

    レオタード姿の合間をぬって
    神楽が混雑した車内を通り過ぎる度
    ひとりひとりの帯とレオタードははするすると
    解けてきれいにつり革にかかりはじめた

    解けたレオタードたちは
    この上なく無邪気で安らいだ顔になり

    早稲田に着く頃には皆
    お風呂上がりの子どものように
    血色よい顔立ちをし
    普段の服装に戻っていた


  • 2014年

    2014.01.19

    IMG_8267

    風の音で目が覚めた
    ラジオから流れてくる声で
    日本の各地で雪が降っていることを知る

    2013年が過ぎ2014年になった

    昨年は遅々として進まない作業を
    心暖かく見守ってくださっている方々に
    支えられた1年だった

    いつになく焦点があちこちに彷徨い
    仕事も創作活動も生活にも迷いが生じた

    これといった成果を伴わないことに
    自責の念や焦りを感じたけれど

    何よりもそのような時に静かに
    手を差し伸べてくださった方々の
    愛情に感謝している

    今年は初心に返り迷いを捨てて
    ただひたむきに
    ただひとつの扉を開こうと思う

    頂いた機会を大切にして生活を為し
    ひとつひとつの行いからひとつでも
    小さくても喜びや笑いを
    拡げることができたら幸せに思う

    ありがとうございます

    中山聡

    2014年 正月

  • 2013.11.03

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    ここのところ
    布団に入り目を閉じると
    雷が音もなく光り消えていく

    むかし見たことのあるような雷だと
    思いながら
    眠りに落ちていく

    天と地を結ぶその幾筋もの光が
    どこかで命が生まれ亡くなる度に発生するものだとしたら
    音がないことにきっと救われている

    いくつかの台風が通り過ぎ
    山奥にある婆ちゃんのお墓が気になっていたため
    山へ向かった

    お墓には風で倒された樫の木が横たわり
    思っていた以上に荒れていた

    折れた木や枝を運びだし
    夏に供えた干からびた花を抜き
    ほうきで落ち葉を掃き線香を炊き煙草を供えると

    鳥が一羽頭上から羽ばたき
    内側に閉じていた耳が開き
    溢れるように一斉に日常の音が蘇ってきた

    葉の揺れるかさかした音
    川の流れる音

    足音
    衣擦れの音
    誰かが話しかけてくれる声
    車の音 街の音

    全てが久しぶりに聴く
    音のような気がした

  • 2013.10.13

    blog201310

    私に向かって泪を流すものが居た
    私に向かって微笑むものも居た

    私に向かって話しかけるものが居た
    私に向かって手を伸ばすものも居た

    私に向かって呆然と立ち尽すものが居た
    私に向かって憎しみの目で睨むものも居た

    今夜も目を瞑って
    私に向かって祈るものたちが居た

    何百年何千年と真っ暗な宇宙のなかで
    誰かがどこかで私を見つけてくれる

    私は真摯に対面しようとする生命たちを
    愛しく思う

    彼らの生命の営みを
    愛しく思う

    欠けても満ちまた欠けるまで
    私はいつもの道を漂う

    誰かにどこかで見つけてもらえるように
    私はいつもの道を漂う

     

     

  • その鳥

    2013.06.22

    20130622

    その鳥には目はありませんでした
    厳密に言えば目は機能しておりませんでした

    その鳥には目はありませんでしたが
    きれいに空を飛びました

    その鳥には目はありませんでしたが
    器用に木の実をくちばしでついばみました

    鯨は振動で他の生態や現象を感知します
    まっくらな海のなかでもきれいに泳ぎます

    その鳥には目はありませんでしたが
    鯨のように振動で他の生態や現象を感知しました

    微睡みのなかで今朝もベランダで鳥が鳴いています
    いつも通りの時間にやってきて木の実をついばみます

    その鳥の羽の音や足音を
    目を瞑って感じるこの時間はとても静かです

    その鳥には目はありませんでしたが
    振動で他の生態や現象を感知しました


     

     

  • よく晴れた朝

    2013.05.16

    16_May_2013

    朝起きてぼんやりと音楽を聴いていたら
    窓の外から近所の小学校の鐘の音が聴こえる
    小学生の朝は早いんだなと思った

    今朝は色んな声の鳥が鳴いている
    今朝はではなくて普段も
    鳴いているのかもしれない
    ただそれに気がついていないのかもしれない

    でも山鳥のような鳴き声は珍しい

    山の中ではなく東京に居ても
    それを聴くと
    やっぱり空を高く感じるから不思議だ

    人が天気の話をしているのを聴くのが好きだ
    知らない人でも知っている人でも
    天気を構成するものたちとの距離は一緒だから

    人が天気の話をしているのを
    聴くのが好きだ

    出かけないとだ

  • その日

    2013.05.12

    11_May_2013

    昨日降った雨のようになりたいと思った

    静かで熱はなく
    輪郭を包み込むような安らぎを
    与えてくれるような

    昨日降った雨のようになりたいと思った

    その日の自分が発する振動で
    その日出会う空間は変化する

    その日出会う人や
    その日自分に向かって発せられる
    言葉や感情は結局のところ
    その日の自分なんだと思った

    ただそんなことを感じていた

    出かけないとだ

  • 川辺

    2013.03.31

    blog20130331

    新しい仕事が始まり2ヶ月が過ぎた
    会社の裏手には大きな川が流れている

    午前の労働を終えてお昼に
    川まで歩いてぼんやり川辺で過ごす時間が好きだ

    海鳥がたくさん飛んでいる日や
    潮のかおりが強い日
    鳥がまったく飛んでいない日

    ぼんやりのなかで触れる変化は
    僕に何も求めて来ないから寛容だ

    足元を海鳥の子どもが鳴きながらうろうろと
    落ち着きなく歩いている日があった

    何かを探しているようにも
    ただ無邪気に遊んでいるようにも感じられた

    野良猫も雀もそうだけれど他の生命とは
    それぞれの距離感がある

    これ以上近寄ってこない他の生命との距離に
    どこか潔くも哀しき境界を感じる

    でもその境界は可視的なものなのだと
    ちいさいころから信じている

    他の生命を認知すること
    他の生命の振動を感じることで

    その可視的な境界を越えて交ざり合ったり
    溶け合ったりしているのだと信じている

    ぼんやりのなかで触れる変化に
    いつもそんなことを感じている