ことばのまえ Sou NAKAYAMA

Sou NAKAYAMA

  • 「続いている」

    2012.06.30

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    忙しい日々が続いている
    地下鉄に乗っていると乗り合わせた見知らぬ
    眠れる隣人の頭部が僕の右肩に着地する
    日々が続いている
    梅雨の中休みなのか日射しが
    僕の足下に届く日々が続いている
    家に帰りシャワーを浴び本を読んでいる間に
    眠ってしまう日々が続いている
    ひとりで静かに過ごす時間に
    救われている日々が続いている

  • 「声と音」

    2012.06.22

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    宮沢賢治の貝の火を読んでいた

    久しぶりに眠れぬ夜を過ごしている
    街が少しずつ水色になっていき
    開けた窓から雨の音と鳥の声が聴こえる

    明け方の街はとても静かで
    雨の音がいつもより意思を持って
    なにか話しかけてくれているようでどこか贅沢な気分だ

    何て言っているのだろう
    そういえば今日見かけた猫もたくさん何かを
    話しかけてくれていた

    意味を認識できない声が音なのだとしたら
    音は時として言葉よりも慈悲深いときがある

  • 「生活」

    2012.06.17

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    今一番何がしたいですかと質問をしたら
    生活がしたいとある人に応えられたことがある
    その応えを頭の片隅に抱えて2回地球は自転した

    生きる活動 について考えるとき
    仕事を最初に思い浮かべてしまうのはきっと
    貨幣を対価として生きる経済至上主義の世界で
    当然のことなのかもしれない

    けれど生きる活動って何なんだろうと
    思い浮かべるとき経済を中心に生きていると心と身体に
    不調和が生まれどこかしっくりと来ない

    動物的だったり植物的だったり天体的に感じた方が
    すんなりと理解できたりする

    呼吸や筋肉の弛緩や植物性を帯びた大気や天体の配置に
    意識を向けることでどこか経済的な活動から産まれる
    矛盾や歪みから自分を保っているようにも思う

    それは臆病だからなのかそれとも
    本能的にそうしているのかよくわからないけれど
    すべてを経済的効用として計る世界に浸っていることが
    生を受けた目的ではないことだけはどこか確信があって

    ただ僕は生命をつなげ拡げることが自分の
    使命のように思っている

    それは経済的なものではなくてより根本にあるものを
    見つめ続けることで為せることなのかもしれない

    経済的な生活をしながらも
    根本にあるものを見つめ続けることで為せることなのかもしれない

     

  • 「つながり」

    2012.06.11

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    自然に微笑むことができるとき
    他者の微笑みが集まってくる
    自然に 不平不満を募らせているとき
    他者の不平不満にからまっている

    たくさんの人に支えられている
    僕ひとりでできた物事など
    ひとつもないように思っている

    でもそう思っていながら
    知らないところで他者に嫌な思いを
    させてしまったりもきっとしている

    いやしている

    すべてのつながりが愛情深い関係で
    結ばれているわけではないけれど
    関わるすべての生命にご縁を感じ
    感謝していきたいと思っている

    思いが器を形づくるのなら
    まだまだ壊れやすい器だけれど
    生きているあいだそのことから
    目を反らさずに歩んでいきたい

    宮沢賢治がいつか書いていたように
    欲はなく自分を勘定に入れず
    ただ静かに笑っていられるような
    人でありたいと思う

    そういうものに

    そういうものに

  • 「手のひら」

    2012.04.25

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    日暮里駅で常磐線に乗り換えるため
    帰宅時間帯で混雑した階段を下ろうとしたら
    足下がおぼつかないおばあさんが
    階段の手前で金属の手すりにつかまり立ち往生していた

    暑さと家路を急ぐ駅構内はせわしなく
    学生や社会人は急ぎ足でおばあさんの左右をすり抜けていくなか
    乗車予定の電車がホームに流れ込んで来ていたけれど
    どうしても気になっておばあさんのところに戻り声をかけた

    目が不自由で階段を降りられないらしいのだけれど
    大丈夫ですよありがとうと静かにおっしゃっていた

    手すりは下る途中の階段でなくなっていて
    おばあさんは杖も持っていないようだったので
    びっくりさせないように手を握り一緒にゆっくり階段を下りていった

  • 「走ること」

    2012.04.20

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    いつも22時頃から走りはじめるのだけれど
    走るコースは誰もいないサッカーグランドの柵を
    乗りこえて土のうえを走るようにしている

    アスファルトより膝や足首への跳ね返りが
    柔らかいし土の匂いやグランドを囲む鬱蒼とした樹々が
    たまらなくきれいでここは新宿なのかと思ってしまうくらい
    周囲は真っ暗で月と星がきらきらしている

    一時間黙々と走っていると体の色々なところが
    痛くなってきて息苦しくなるのだけれど
    それを我慢して呼吸に意識をむけて走り続けると
    急にふわっと体が軽くなって
    一ほ乳類として宇宙に溶け込む感覚が訪れる

    2年前と違って今はnike gpsを使って走った距離や
    ペースなどi phoneと連動してわかるのだけれど
    だんだんとおじいちゃんからおっさんの
    レベルになったような気がしている

    ゆっくりと若者になっていこうと思う

  • 「ひとつになること」

    2012.03.13

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    行為とひとつになること
    息をすっているときは息をすっていることになること
    食べているときは食べていることになること
    座っているときは座っていることになること

    行為とひとつになることで「今」になれる
    行為の結果、生まれる感情や行為の前に
    生まれる感情とひとつになってしまうと「今」から離れてしまう

    「今」とひとつになれたとき
    人は宇宙と調和して在るべき姿になれる

    痛みも恐れもない在るべきエネルギー体になれる

  • 「詩について」

    2012.01.14

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    夕方頂いたメールの言葉が嬉しかった
    詩を書くことを続けてきて良かったと思った
    きっと誰かひとりでも言葉が響いてくれるのなら
    僕の言葉はそこで詩になれるのかもしれない

    ジョナスメカスのブログに
    詩について共感できることが書いてあった

    「俳句として知られる詩の本質」とはいわゆる〈無常観〉のことだろう。
    無常なる世の中に生きながら、世を無常と観ずる心の距離に
    「愛」の感情が非常に儚い虹の橋のように架けられる。

    無常なる世の中に生きているからこそ
    その儚さが美しさになり得て
    暮らしのなかにきらきらと輝く

    詩は体臭のようなものなのかもしれない
    人それぞれ体を循環してその人の体臭みたいなもの感じる

     

  • 「日を浴びる」

    2012.01.14

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    久しぶりに日を浴びて気持ちよかった
    珍しい声をした鳥が鳴いていた
    空腹なのだろうかと思ったけれど
    それは違うことを隣人に教えてもらった
    空腹なのは僕のほうだった